最近、You Tubeのおすすめ動画に上がってくる『ペンキ画家ショーゲンSHOGEN』さんの番組。
聞いてみると、「なるほど!大切にしたいなと思ってたこと、その方向性でいいんだ!」と思えた。それから、「欧米の教えは本として読んで知ることができるけど、アフリカはどんな教えがあるのだろう?知りたくても口伝だったりして手に取るということができなかったりするんだよな」と思っていたときだった。
ペンキ画家ショーゲンSHOGENさんは、ある日、立ち寄ったお店でアフリカのティンガティンガ(絵画)に出会い、これをやっていかなきゃ!と思いすぐに一月後の飛行機のチケットを買って、退職を決め、アフリカのタンザニアへ渡ったショーゲンさん。日本人だからという理由で絵の先生が住んでいるブンジュ村でうちで生活しないか?と声を掛けられる。まずはブンジュ村の村長さんへ挨拶へ。そのときに、こう言われたそうです。
ご飯を食べられることに、幸せを感じられるか
ただいまと言ったら、家族でも家族以外でも、おかえりと言ってくれる人がいるか
抱きしめられたら、温かいと感じられる心があるか
この3つがあなたの中にあるんだったら、村においで
今日、誰のために生きる? 廣済堂出版
そうして、ペンキ画家ショーゲンSHOGENさんは絵の先生に声を掛けられ、ブンジュ村で生活をしながらティンガティンガを学ぶことに。
そしてそこで、日本人にまつわる不思議な話を村長が話してくれます。
「実はこの村には日本人の文化や価値観が色濃く反映されている」
村長のおじいちゃんが「夢で日本人から、みんなで楽しく生きていくためにはどうしたらいいのか、自然と共存して生きていくためにはどうしたらいいのか、生きていくうえでの大切なことすべてのことを習った」と。そこでショーゲンさんが「どんなところに住む日本人だった」と聞いたら「その当時の日本列島に住む人たちは、穴を掘って竪穴式住居に住んでいた。その穴の中に入ってしゃがむと自分の目線がアリンコと同じ目線、大地と同じ目線にくる。そして不思議なことにその人たちは女性をモチーフにした土器をたくさん作っていたんだよ。」と。ショーゲンさんは『縄文』という言葉は聞いていないけど、「その時代とは1万年〜1万5000年続いた愛と平和に溢れていた時代で亡くなった人に刺し傷とか切り傷がほとんどなかった時代だったんだよ」と聞いて、おそらく縄文だったのではないかとショーゲンさんは思ったそうです。
そのお話しが、『今日、誰のために生きる?』の本として世に出ると。そしてちょうどそのタイミングで、京王線沿いの千歳烏山でコラボしたひすいこたろうさんとお二人の出版記念講演会あるとのこと。
ちょうどその日は空いている!でも、日曜日の夜だから、ゆっくり過ごしたい氣持ちもあり、金額のことも迷った理由。そんなので、参加ポチっとを迷っていたら、その週の月曜日、午前中はまだ申し込みができたのに午後にはもう満席になっていた。ショック。今の私にできることはあるか?
席が当初の座席より減っていたり、ちょっと増えていたりと増減していた記録が残っていたので、「今後増席される予定はあるか。またはキャンセル待ちもあるか」を「お問い合わせ」に送ってみた。
ご丁寧に返信をいただき、「機材の関係で増席の予定はないが、キャンセルが出た場合は連絡します」とのこと。
キャンセルは誰かの残念の結果の場合もあるから、期待はせずに「ご縁があったら」くらいの氣持ちに切り替えた。
そうして、土曜日の午後にキャンセルが出ました!と連絡が入り、行けることになりました。キャンセルされた方、もっと別のワクワクすることが新しくあってそちらを選択されたことを祈る。もしくは誰かが、迷っている私の代わりに押さえてくれていたのかな。
やはり、会場という同じ空間と時間を共有できるというのは、すごく喜びのあることで、しかも出版記念ということで嬉しく思います。
《一週間間に大バズリ?!》
この講演会の申し込み、一週間前には申込者8人だったそう。それが、あれよあれよと言う間に埋まって、キャンセル待ち50人が出るほどだったそう。本も増刷されることになったそうです。
《ショーゲンSHOGENさんのお話し》
「絵を学びに行ったのに、生き方を教わった」とまず冒頭にお話されました。
夜は暗くなる。現代は電気があって頑張ればやりたいことをできるけれど、暗くて作業ができない「諦められる時間が大切。ゆっくり休息する時間が大切」、「日本人は生きとし生けるものすべてを愛していたから、生きとし生けるものすべてから愛されていたんだよ」、「日本人は自分の所作、一挙一動を愛しく思っていたんだよ」、「虫の知らせのほんとうの意味」、「まずは自分を満たしてからでないと人は助けられない」、色々あり方として参考になるお話しでした。
《ひすいこたろうさんのお話し》
ひすいさんはたくさん本も出版されていますが、人前に出て話すのは苦手で、司会者の方に助けてもらいながら、少しずつ人前で講演するのも大丈夫になったそうです。
苦手でも誰かに助けてもらって、沢山の人にお話を届けることができるのですね。できるかできないか、その二択ではなく、いろんな方法があるということを教えてもらいました。
司会のマサさんとの合いの手も絶妙でした。
帰りに、会場に贈られた花輪から頂いていいとのことで、一輪お家に連れて帰りました。
ブンジュ村の村長さん、実は2ヶ月前に虹の橋を渡られたそう。
この本が村長さんの生まれ変わりなのでは?とお話されていました。
胸があったかくなる講演会でした。