ムサコ(武蔵小金井)に住む友人から「こんなのがあるよ」と教えてもらった。
「越境/penプロジェクト『おばあさんのくらし』記憶の水脈をたどる展」。場所は、小金井アートスポットシャトー2F。
12月6日(日)まで(時間は12:00〜18:00)。
「おばあさんのくらし」と聞いて、私自身は母方の祖母を思い出す。私は親・きょうだいと母方の祖父母と同居していた。なので、やっぱり、おじいちゃんやおばあちゃんには思い入れがある。それに、おばあちゃん、おじいちゃんが繋げてくれた慣習や家庭内文化や言葉(方言)、やっぱり大切にしたいと思っている。
【「penプロジェクト」とは】
「penプロジェクト」とは、「日本にすむ外国にルーツをもつ人との出会いを期待してはじめたプロジェクト」ということで、「おばあさん」もそういった人たちの「おばあさん」で、私の「おばあさん」とはまたちょっと取り巻く環境や立場など違いがあるかもしれないけれど、このチラシのことばが素敵だなと胸が温かくなったので足を運んでみました。
わかりあえないもの、触れえないもの、見えないもの、聞こえないものではあるけれど、ある種の出来事は、長い時間をかけて、あるいは瞬時に複雑に影響しあい、私たちの暮らし、社会、世界を地層深く大きく揺さぶります。災害であったり、社会的な事件であったり、身近な人の喪失だったりと、その原因や理由は様々ですが、私たちはその出来事の前に否応なしに立ち止まらざるをえなくなります。
(中略)
この、私たちの前に、あるいは自分自身の中にある見えないもの、わかりあえないもの、に、どのように触れ、紐解き、少しでも理解の端緒を作り出し、自分自身と出来事の関係を創造的に転換していくことができるのでしょう?私は、そこには、厳然たる理解の主体である「自分」がいる、というより、理解困難を前にして、思索を続けること=変わり続けること、変わり続けながら寄り添うこと=我が身を呈して、親密に相手を、出来事を想像するという行為がありえるのではないかと思います。
(中略)
このプロジェクトを通じて積み上がってきたのは、理解できるように思えること、思えないことのはざま、は、「私自身がその立ち位置や眼差しを変えることで、その相が変わっていくのではないか」ということです。
越境/penプロジェクト「おばあさんのくらし」記憶の水脈をたどる展開催に寄せて 宮下美穂(NPO法人アートフル・アクション)さんより
【JR武蔵小金井駅から小金井アートスポットシャトー2Fへのアクセス】
(アートフル・アクションの公式サイトのアクセスとは違う行き方ですが…)
中央改札より出て、南口へ。
南口に出たら右へ進みます。
この先のビル(アクウェルモール)の前を歩道に沿って左へ(小金井 宮地楽器ホール方面)。
この先の〈アクウェルモール〉と〈小金井 宮地楽器ホール〉の間を右に進む(イトーヨーカドー方面)。
〈イトーヨーカドー〉と〈SOCORA武蔵小金井クロス〉の間の道を右に進み、〈SOCORA〉の建物に沿って左へ(小金井市役所第二庁舎方面)。
突き当たりを右へ(小金井消防署方面)。
〈小金井アートスポットシャトー〉到着。
そのまま建物に沿って〈消防署方面へ〉。道路側、小金井市観光まちおこし協会の左隣、白のトビラに〈シャトー2F〉の表示。
ここから2階へ。
2階に上がったら、会場入口は右側です。
カフェは、国分寺から2月にお引っ越ししてきた「でみCafe」さん。
地元(お隣国分寺のこくベジ)のお野菜たっぷりのあたたかいスープやカレー、そしておからドーナツが食べられます。
【会場の感染症対策について】
まず、会場入口で手指の消毒をして、入口のスタッフさんに『おでこで検温』をしてもらい、氏名、住所、電話番号、メールアドレスなどの連絡先、自分自身や周囲に14日間以内に味覚の異常や体調不良がないかを○で記入。
テープレコーダーで聞く動作もあるので、イヤホンの貸し出しもされています。
「記憶の水脈をたどるノート」など手で触れるところがあるのでビニール手袋も渡されました。
【会場で気をつけること】
写真撮影は「記憶の水脈をたどるノート」以外はOKとのこと。
【会場の様子】
3つ並んだ白いイスのところにテープレコーダーがあります。
↓テーブルの上に「記憶の水脈をたどるノート(pen友のみなさんが共有してくださった『おばあさんにまつわる記憶』を綴ったノート)」があります。自由に手に取って読むことができます。
椅子に座って、レコーダーのお話を聞きながら、「記憶の水脈をたどるノート」を読みました。
↓壁にあるのは「おばあちゃん、お母さん、私…つながりの中に、自分もいる。(野澤佐知子さん)」
印象に残ったのは、「おばあちゃんから外国のお金がほしいと言われて、次に会った時に、と軽く考えていたら、渡す前におばあちゃんが老衰で旅立たれて、渡せなかった」というエピソード。
他には「もっとお話すればよかった」とか、あとは、やっぱり、おばあちゃんは孫がお腹を空かせていないかをいつも考えているんですね。おばあちゃんとのご飯の思い出。国も土地柄も違っても、おばあちゃんって大体そう。
【私のおばあちゃん(一緒に暮らしていた母方の祖母)】
私のおばあちゃんは失明してたけど、自分でなんでもこなしていた。
お彼岸にはぼた餅ときな粉餅を作ってくれた。瓜の粕漬けが美味しかった。塩むすびが美味しかった。
朝夕仏壇に手を合わせる信心深い祖父母だった。掃除や草取り、家の中はさっぱり整えられていた。食事も慎ましいものだったけど、孫の私たちがお腹は空かないように、自分の分は「半分しようか?」といつも言ってくれていた。
焼き芋やさんで焼き芋を買った時は、私たちが学校から帰ってくるまで冷えないようにと押入れの布団の中に入れてあったかくしておいてくれた。
中学の校則が全員部活で、忙しく、本当はもっと目が不自由なおばあちゃんのお世話というか買い物について行ったりしてあげたかった。それはずっと心残り。もしやり直せるなら、学校に掛け合って、家の事情で部活はしなくて手伝えるようにするのにと思う。
最後は、家族みんなで看取ることができたのはよかったかな。
【越境】がテーマでもあるけれど、祖父母のこと、父母のこと、周りの人のこと、社会の人のこと、世界の人のこと、「開催によせて」の言葉にあるように、「私自身の立ち位置や眼差し」を色んな方向から考えられるようでありたいと思う。
「制作/作ろうとしてみる」とは、世界と向き合うための技術、自分自身の経験に照らして知らないことに向き合い、未知のことへ朗らかに心と身体を向け、気づきを重ねていくのか、という探究ともなっていきます。
越境/penプロジェクト「おばあさんのくらし」記憶の水脈をたどる展開催に寄せて 宮下美穂(NPO法人アートフル・アクション)さんより
「未知のことへの姿勢に朗らかに心と身体を向ける」心に留めていたいなと思うのでした。