『本当のコミュニケイション上手って?その2』からの続きです。
『コミュニケイションのレッスン』(鴻上尚史/だいわ文庫)に書かれていた内容で、眼から鱗だった、そして自分の中で特に書き留めていたいなと思った箇所です。
何と!
・コミュニケイションの技術を高めるのは、ひとつになるためではありません。
・集団が議論を続けるのは、ひとつにまとまるためではありません。
・とかく、日本人は集団で議論を始めると、「ひとつになるためだ」とあらかじめ目標を決めてしまいます。違います。
『コミュニケイションのレッスン』(鴻上尚史)だいわ文庫 P208
と言うのです。
私は、衝撃を受けました。ということは、私は「ひとつになるためだ」と思っていたところがあったのです。子どもの頃、「学級会」ではみんなの意見を「ひとつにまとめる」ために行われていた気がします。私の中で、その時から今まで、ずっと「話し合いとはそういうことだ」と思い込んでいたことに氣付いたのです!
では、何のために?鴻上さんはこう説きます。
・メンバー一人一人が具体的にどう違うことを思っているのかを明確にするためです。
・それぞれが思っていることを具体的に明確にするために話し合うのです。
・お互いの違いが明確になって初めて、歩み寄れる点と歩み寄れない点が見えてくるのです。
・あなたと私がどう違い、けれど、どう歩み寄れるかを知るために、コミュニケイションのスキルを獲得するのです。
・あなたと私は違う。けれど、なにが一緒にできるか。どこまで一緒にできるか。どこを譲り、どこを押せるのか、どこは一緒にできないのか。それを見極め、実行することがコミュニケイションの目標なのです。
『コミュニケイションのレッスン』(鴻上尚史)だいわ文庫 P208
相手と私の「違いを知る」ことでお互いを知ることができる、と確かに思う。
そして、それには「違う」ところもオープンに話せる関係であること。もし「相手」と違ったとしても、そのことが決してお互いを「否定している」わけでも「攻撃している」わけでも「受け入れない」と言っているわけでもない、という場だったり関係であること。だと思います。そして、ここがうまく行っていないと、いつかは、どちらかが離れていってしまう関係になってしまうと思います。
他には、【交渉の仕方】、【質問の仕方】もこんなふうにすれば良いんだ!と分かりやすかったです。